普請文化フォーラム2018 フォトレポート

2018年4月28日(土)に、主催:伝統を未来につなげる会、共催:公益社団法人ソーシャルサイエンスラボにより、「普請文化フォーラム2018」を開催しました。会場となった明治大学アカデミーホールには1000人を超える来場者がつめかけ、2020年ユネスコ無形文化遺産登録に向けて、登録対象となる職種や担い手の範囲を庭、城郭、家大工、人材育成機関などにまで広げていこう!という方向性を共有できる場となりました。ご来場者のみなさまには、心から御礼申し上げます。

お茶の水駅からすぐの明治大学駿河台キャンパス内に、アカデミーホールがあります。
2Fの受付から、ニコライ堂などお茶の水の風景を眺望するエスカレーターで、3Fのアカデミーホールへとのぼります。

1000人という大人数を迎えるために、受付や会場整理には「伝統を未来につなげる会」メンバー以外にも、多くのボランティアスタッフが。
伝統木構造の会職人がつくる木の家ネットこれからの木造住宅を考える連絡会などからのご協力をいただきました。

開演5分前の様子。一階席で750、二階席で250の客席が、ほぼ埋まりました。半纏姿の職人の姿も多く見られます。

同じ頃の2階席。学生が多く、めざしていくことが次世代につながっていくことへの期待がもたれました。

高齢のため出席がかなわなかった当会の中村昌生会長からは、ビデオメッセージが。
明治大学の土屋恵一郎学長は、能にも精通しておられ、和装でご挨拶されました。

当会事務局長の大江忍より「来年3月までに、申請対象を現在文化庁が想定している選定保存技術14項目から、全ての伝統建築職人に光があたるよう、より裾野を広げていこう」との運動方針を、お話申し上げました。

基調講演「和風建築の伝統的な価値を巡って」をしていただいた、内田祥哉先生。建築構法がご専門で、建築のシステム化の研究を通してプレファブ住宅の発展に寄与した方ですが、近年「日本の伝統建築の構法 柔軟性と寿命」なども著し、日本建築の構法やモジュールを高く評価されています。

ひと口に日本建築といっても、神社、寺、城郭、板倉、町家、農家など、ざまざまな形があります。
室内のつくりを見ても、御殿、書院、数寄屋など、表現の幅があります。

同じ木造でも、西洋建築と日本建築とでは考え方がちがいます。西洋建築は、面で押さえる「隙間嵌め」で、材と材の間はわずかにあき、表面で金物接合をします。日本建築の職人技術は「締まり嵌め」で、主要部材同士の心同士がめりこみあうようにして、木と木を木で結合しています。

日本の建築は、和小屋、真壁づくりの重ね合わせでできており、一間×半間の畳を基本とする身体的なモジュールによるため、増改築のフレキシビリティーが高いのが特徴です。三つの時代にわたって増改築が行われたある古民家では、当初から変化していないのは、中央の8畳間だけでした。

内田祥哉先生は、93歳というご高齢ながら、力強く、分かりやすく、お話しくださいました。

千田嘉博先生には「加藤清正の名城 熊本城の大普請 〜 4.16 あの熊本地震から2年〜」と題する特別講演をしていただきました。

先生は、特別史跡熊本城跡保存活用委員会の委員をつとめられており、この名城の復興再生に関わる立場からお話しくださいました。

写真の右が、石垣が大きく崩れた小天守。鉄骨で建物を支え、小天守を支えていた石垣の石を取り払ったので、今は小天守が浮いている状態です。

崩れた石をどかしてみると、その下から、小天守増築以前からあった大天守の石垣があらわれました。創建当時のこの石垣は大きな「築石」の隙間を細かな「間詰め石」で埋めるという方法で作られていました。

ひと口に石垣といっても、積み方は様々。隅部を見ると、同じ加藤清正 築城による石垣でも、同じような大きさの石を並べる「重ね積み」から、
大小大小と互い違いに並べるより強固な「算木積み」へと変化していったそうです。

城主が細川家に替わってからつくられた小天守下の石門は、豆腐のように四角く整形した石同士を、
チギリという結合金物を挿すことでつなぎ、位置ずれを防いでいます。

石垣について愛情たっぷりに語る千田先生。

ここまでで前半終了。おおぜいの皆さんが熱心に耳を傾けていました。

休憩をはさみ、後半では文化庁で長く文化財調査官をされた後、工学院大学理事長に就任された後藤治先生の座長で パネルディスカッション
「伝統建築技術の継承・活用で切り拓く日本の未来」が行われました。4名の先生方のご発言を以下にご紹介します。

1996年に富山市で開校した、大工と庭師を育てる専門学校「職藝学院」で、20年以上、生徒達を指導してきた島崎英雄棟梁。電動工具をあえて使わせず、毎日刃物を研いで自分で材を刻むことを通して、手刻みができる大工技術を教えています。およそ二年で、墨付け、刻みの基本技能は身につくとのこと。建築基準法で伝統建築がつくりにくい現状を何とかしてほしいと訴えておられました。

ランドスケープ・アーキテクトであり、環境学者として福井県立大学の学長をつとめる進士五十八先生。自然と歴史と文化を一体に表現する日本の造園技術について、桂離宮を例にとりながら、お話しいただきました。洪水が起きることを前提につくられた桂離宮では、大水の勢いをやわらげるために、背後の竹林に生えているハチクを生きたまま曲げて、枝葉を建仁寺垣に編み込んだ独特の「桂垣」を作る、という話にはおどろかされました。

明治大学の副学長で、学生をまきこんで、全国各地で住民参加型のワークショップ地域おこしをしている「NPO法人 まちづくりデザインサポート」の代表をつとめる小林正美先生。地域の歴史的な「本物の建築」が海外旅行者にとっても魅力的な観光資源として価値をもち得ることを、備中高梁、黒石、姫路など、さまざまな実例を通してお話くださいました。歴史的建築を維持するためには「普請文化」の担い手である職人の存在が不可欠というご発言もありました。

明治大学政治経済学部准教授で、内閣府規制改革推進会議委員、農林ワーキンググループ座長もつとめられる飯田 泰之先生。バネラーの中で唯一、経済からの視点で、特に、森林蓄積が充実していながら、それが十分に活用されていない林業を、伝統建築をはじめ、魅力的な木造建築と結びつけていけるような供給システムを築くことが、山も建築も豊かにするというお話をいただきました。木材を利用する建築業界の需要が、日本の山を変えるポテンシャルをもち得るという期待が伝わってきました。

パネラー同士で議論をする時間はありませんでしたが、最後に座長の後藤治先生が四方のお話をまとめられました。

日本の木造建築を支えるピラミッドの頂点には、文化財やそれをささえる選定保存技術があり、現在では文化庁はその「頂点」だけを保存対象としようとしています。そのことについて、後藤先生は「裾野のない山に頂点はない!」と評されました。未来にも名人が存在するためには、堂宮大工、地域工務店、職人学校など、さまざまな裾野の広い下支えが必要で、その全体が無形文化遺産の対象となるべきであるという明快で力強い結びの言葉をいただきました。

2000の瞳が、舞台に惹き付けられています。

パネルディスカッションが終了すると「職人宣言」の時間。伝統建築を担う、現場の職人たちが半纏や作業着で舞台へとあがります。

「職人宣言」の代表をつとめる、「職人がつくる木の家ネット」の綾部孝司さん。

同じ木組みの技術を用いる宮大工、数寄屋大工、家大工をはじめ、左官、建具などさまざまな職人こそが、日本の美しい風景を支えて来たし、これからも支え続ける、と綾部さんは宣言。その後、20人の職人にマイクがまわり、ひとりひとりが自分の声で発言しました。

  • 袋田琢己さん(神奈川・大工)
  • 山口好則さん(静岡・製材)
  • 小澤啓一さん(神奈川・タイル職人)
  • 高橋俊和さん(埼玉・大工)
  • 増田拓史さん(三重・大工)
  • 川村克己さん(滋賀・大工)
  • 浜中英治さん(東京・製材)
  • 髙橋昌巳さん(東京・設計)
  • 佐久間貴毅さん(神奈川・大工)
  • 田中龍一さん(神奈川・大工)
  • 松村寛生さん(静岡・大工)
  • 藤本嶺さん(神奈川・大工)
  • 剱持大輔さん(山形・大工)
  • 宮村樹さん(山口・大工)
  • 山本耕平さん(岡山・大工)
  • ジョンストレンマイヤーさん(岡山・大工)
  • 田口太さん(熊本・大工)
  • 杉原敬さん(宮城・大工)
  • 金田克彦さん(京都・大工)
  • 伊藤和正さん(福井・大工)

後ろ姿がかっこいいですね!

最後は、島崎棟梁のご発声で、会場全体での三本締め。

会場を埋め尽くす1000人と一体となった三本締めが会場に轟きわたり、「普請文化フォーラム2018」は大成功のうちに閉会しました!