お知らせ

川井徳子

2020年、UNESCOに申請しておりました「伝統建築工匠の技」が登録されましたが、残念なことに中村昌生先生が求められた「庭屋一如」の精神が取り入れられることにはなりませんでした。和食がユネスコ無形文化遺産登録された時のように、日本人がどのように住いを作ってきたか「住文化」についての本質的な内容まで掘り下げられることがなかったことを悲しく感じています。それはどうすると可能だったのでしょうか。例えば、古事記に記される日本最初の和歌は、速須佐之男命が新妻のために清々しい場所を探し当て、新居を立てたことを言祝ぐ内容です。八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を新居の家の様子は分かりませんが、縁起の良い垣に囲まれた庭のある空間だったのでしょう。古代大和王朝の王宮は一代ごとに建設されるのですが、朝廷の名称にあたるその宮号は磯城瑞籬宮・磐余若桜宮・丹比柴籬宮など現在の日本庭園の構成に欠かせないような語彙が並んでいます。日本庭園を「禅の庭」と紹介する人も多いのですが、日本書紀・古事記に記される内容をみると日本人は仏教が伝来するずつと前から、一生懸命に庭づくりをする国であったということに気付きます。何よりも、私たちの先人は高天原の「齋庭(いつきにわ)」の稲穂をこの列島で育て主食として生きてきたのです。日本人が庭園をこよなく愛するのは、それが文化の根底に紐づいているからでしょう。直前の2019年に仁徳天皇陵と言われる5世紀の土木建造物・大仙陵古墳が世界遺産に登録されました。世界最古の木造建造物法隆寺よりも200年も前に築造された世界最大級の巨大墳墓です。6000人が20年間専念して作り上げたものと大林組は積算しています。日本人は建築よりも先に、土木事業に力を注いできたのでした。前方後円墳といわれる日本独特のフォルムをした墓は日本列島に5000基あるといわれています。おそらくここで使われる盛り土や周濠の技術は灌漑やため池開発など農耕社会に欠かせない技術だったのだろうと思います。庭園文化はこのような技術的基盤のもとに独自に発展してきたのです。ところで、いまでも建築物を建てるにあたっては神道の儀礼で地鎮祭を行います。古来からの伝統が建築の文化にはしっかりと根付いているのです。日本では建築と土木は仲が悪いといわれますが、そのようなことを飛び越えて日本人はどのように国土をつくり、景観形成してきたのか、というより深い日本の空間文化として世界の人々に伝えていく必要があるのではないかなぁ、と感じています。

イタリアのミラノ博でユネスコ無形文化遺産「和食」を世界に紹介して大成功をおさめました。日本酒もお寿司も調味料も様々なものが、世界に輸出されました。・大阪・関西万博では「伝統建築工匠の技」を世界に紹介しましょう。台風・洪水・地震と災害列島といわれる日本で、最古・最大級のものが千数百年の時を超えて残されています。これらを作ってきた先人の技術を私たち自身が再評価し、世界に紹介すること、日本建築と土木文化のすばらしさを紹介することが大切です。それを通じて、日本は世界のインフラ整備に貢献することが可能です。日本の伝統を未来に、世界に伝えていくことでSDGsな未来づくりが達成できると確信します。

伝統未来につなげる会のさらなる発展を祈念して。