吉江 勝郎
「伝統建築工匠の技・木造建築物を受け継ぐための伝統技術」のユネスコ無形文化遺産登録、おめでとうございます。
生前ユネスコ無形文化遺産登録運動にその旗手として尽力されていた中村昌生先生には、この日の福来をどんなにお喜びになられることか、思いはかるに及びません。
そこで、「伝統を未来につなげる会」のもと、先生の遺志を継ぐ者の一人として、ここに祝意の辞を述べさせていただきます。それも中村昌生先生の学識を借り用いさせていただく限りです。
明治、大正、昭和戦前に至る間の和風建築には、技術的にも意匠的にも優れた域に達した建物が少なくありません。富豪や数寄者たちの美的教養、財力も充実し、大工をはじめ諸職の職人技術も練磨向上し、江戸時代よりさらに発展をみせていた。近代こそ数寄屋普清の黄金期であった。
当時は、 今日のような建築家の設計ではない。多くは施主と工匠の協力による設計であったり、茶匠や芸術家の設計であった。施主の意をうけて、工匠がデザインを工天しながら施工していったものである。設計の巧みな工匠もいれば、下手な工匠もいた。しかしながら、彼らは技術の中に設計能力を働かせ、技術と設計を一体化していたのである。このような形の設計は、今日の建築家の持たない魅力を持ち合わせていたのである。木造建築にあっては、それこそ理想といえる。そのようにして生み出された近代の作品、たとえば南禅寺界隈の対龍山荘・清流亭・野村碧雲荘などの別荘群には、今日の和風建築には見られない風格や魅力があります。日本の大工技術は世界に誇るべき文化遺産であると同様、現代日本が誇る知的財産である。将来にわたって名作を創造しうる技術を堅持することは、優れた遺構(文化財)の保存と同じく重大である。私たちが伝統的大工技術の息の根を止めてはならない。
そして過去の歴史が証明しているように、大工技術(伝統建築工匠の技)の育成発展には、需要者(施主)の理解と情熱が不可欠であることを考えれば、ユネスコ無形文化遺産登録を機に伝統建築工匠の生きた技を現代生活の中に取り戻すための日本社会への一層の(建築)活動が今こそ望まれる。