えんぞう
自分は、庭の仕事にたずさわるものです。この度のユネスコ登録おめでとうございます。
しかしながら、中村先生は生前、『庭屋一如』とおっしゃられておられ、造園もその中に含めるようにと懇願されていましたが、この度、含まれていないことに、少し落胆いたしました。
建築には、直接関係ないのかもしれませんが、これなくしては、味気ないものに思われます。
やはり、造園は、建築関係者からすれば、下に思われているのでしょうか?
揚げ足を取るようですが、本音を記してみました。
Portland Japanese Garden
おめでとうございます。
日本の伝統文化にかかわる一人として、長年のご苦労に心から感謝するとともに、引き続きのご活躍を期待・応援いたします。
(有)かとう建築事務所
伝統は元々は仏教用語で伝燈と書き、「燈を伝える」意味でした。
燈とはなんでしょう?
私は心の燈、想いの燈、意識の燈を燃やし続ける事、エネルギーを宇宙に捧げ続ける事で、自然を活かし、そしてまた活かされる事と思います。
MKデザインスタジオ一級建築士事務所
この度は、誠におめでとうございます!!
皆様の想いと行動、そして絶え間ない努力に感謝いたします。
工匠の技が、次世代に繋がりますように。。。
心より応援いたします。
私自身も、伝統構法を学び続けながら、実現していきたいです。
これを励みに、技の出番をつくれるよう設計の仕事に邁進していきます。
ユネスコ無形文化遺産に伝統建築の技が登録されたことを、共に喜びたいと思います。コロナ禍では、一堂に会してのお祝いも叶わないと思いますが、きっかけとして家づくりにも関心を持っていただければ、いいと思います。また、発起人会で、奈良や東京でのイベントの参加できたことも、自身の誇りにもなります。これからも、ますます頑張れるといいですね。
伝統を未来につなげる会 会長 / 工学院大学 理事長
「伝統建築工匠の技」がユネスコの世界無形文化遺産に登録されることになりました。
この登録のための支援活動を続けてきた「伝統を未来につなげる会」の会長として、うれしく思うと同時に、皆様のご協力に対して感謝申し上げます。
また、本登録を天国におられる中村前会長にご報告申し上げたいと思います。
ところで、登録はたいへんに喜ばしいことですが、伝統を未来につなげる会としては、登録は道筋の途中の一通過点にすぎません。工匠の技を使う仕事場が増え、本当の意味での後継者育成の場が増えないことには、我々の目標は達成したとはいえません。
そのためには、中村前会長が唱えていた庭園の技術に光をあてることはもちろん、登録を様々な事柄に発展させていかなければなりません。
新型コロナウィルス感染症の拡大で、様々な活動が制約を受けているなかではありますが、2021年は工匠の技を我々が思う方向に進ませる第一歩の年にできればと思う次第です。
引き続き会の活動にご協力をいただけると幸いです。
前福井県立大学長/東京農業大学名誉教授・元学長/当会理事
2020年は「ウッドファースト日本・元年」
カーボン・ゼロを日本政府が初めて宣言した2020年。国民みんなで木造建築の主流化を本気で考えたいものだ。
法隆寺が世界最古の木造建築だということは、日本中の子どもの常識だろう。ということは誰もが建築は木造が本来形だと認識していて不思議ではない、ということではないか。
ところが現実は、世界中の大都市、日本中の地方都市でも、鉄とコンクリート、アルミとガラスが現代建築の常識になっている。
今さら日本の近代化や震災復興と防火都市建設、近年の耐震高層高密都市再開発への潮流を指摘するまでもなく、何の批判もなく、こうした都市化を国家ぐるみで推めてきた問題点を関係者は今一度自覚するべきではないか。
そうした認識さえあれば、日本全土をコンクリート建築で蔽い尽くす発想を見直し、大都市や地方都市の都心などDIDはコンクリート建築ゾーンとする一方、それ以外の中低密田園地域の基調は「木造建築」とするウッドファースト思考が、これからの日本の世論の大勢となってもおかしくない。
こうした世論形成の起点となり核になるべき契機が、ユネスコ無形文化遺産「伝統建築工匠の技」(2020.12.15登録)であろう。ややもすると、文化財建築の保存技術の継承にのみ矮小化した議論へ視野狭窄になりかねない。その点には留意したいものだ。
中村昌生先生とのご縁で本会に出させていただいている私は造園家。先生年来のご主張「庭屋一如」こそ、日本文化の特質と考えてきた。
現在、福井県立大学長として地方創生へ多彩なプログラムを提案しているが、地元、曹洞宗大本山永平寺の七堂伽藍建立は、中国から招聘した「杭州大工」の手になり越前の集落景観形成にもその子孫の「永平寺大工」の匠の技が影響していると確信し、その現代的復活によって永平寺町の風景づくりをリードしたいと構想している。
庭と屋は、都市的スケールに拡大すると、ランドスケープとアーキテクチュア。
豊かな自然景観の「」に、「図」として永平寺大工による家並風景や建築景観が調和した郷土景観を形成したいと願う。
前日本建築専門学校 校長 /(財)京都伝統建築技術協会 理事
「伝統建築工匠の技・木造建築物を受け継ぐための伝統技術」のユネスコ無形文化遺産登録、おめでとうございます。
生前ユネスコ無形文化遺産登録運動にその旗手として尽力されていた中村昌生先生には、この日の福来をどんなにお喜びになられることか、思いはかるに及びません。
そこで、「伝統を未来につなげる会」のもと、先生の遺志を継ぐ者の一人として、ここに祝意の辞を述べさせていただきます。それも中村昌生先生の学識を借り用いさせていただく限りです。
明治、大正、昭和戦前に至る間の和風建築には、技術的にも意匠的にも優れた域に達した建物が少なくありません。富豪や数寄者たちの美的教養、財力も充実し、大工をはじめ諸職の職人技術も練磨向上し、江戸時代よりさらに発展をみせていた。近代こそ数寄屋普清の黄金期であった。
当時は、 今日のような建築家の設計ではない。多くは施主と工匠の協力による設計であったり、茶匠や芸術家の設計であった。施主の意をうけて、工匠がデザインを工天しながら施工していったものである。設計の巧みな工匠もいれば、下手な工匠もいた。しかしながら、彼らは技術の中に設計能力を働かせ、技術と設計を一体化していたのである。このような形の設計は、今日の建築家の持たない魅力を持ち合わせていたのである。木造建築にあっては、それこそ理想といえる。そのようにして生み出された近代の作品、たとえば南禅寺界隈の対龍山荘・清流亭・野村碧雲荘などの別荘群には、今日の和風建築には見られない風格や魅力があります。日本の大工技術は世界に誇るべき文化遺産であると同様、現代日本が誇る知的財産である。将来にわたって名作を創造しうる技術を堅持することは、優れた遺構(文化財)の保存と同じく重大である。私たちが伝統的大工技術の息の根を止めてはならない。
そして過去の歴史が証明しているように、大工技術(伝統建築工匠の技)の育成発展には、需要者(施主)の理解と情熱が不可欠であることを考えれば、ユネスコ無形文化遺産登録を機に伝統建築工匠の生きた技を現代生活の中に取り戻すための日本社会への一層の(建築)活動が今こそ望まれる。
ノブレスグループ代表 / 当会理事
2020年、UNESCOに申請しておりました「伝統建築工匠の技」が登録されましたが、残念なことに中村昌生先生が求められた「庭屋一如」の精神が取り入れられることにはなりませんでした。和食がユネスコ無形文化遺産登録された時のように、日本人がどのように住いを作ってきたか「住文化」についての本質的な内容まで掘り下げられることがなかったことを悲しく感じています。それはどうすると可能だったのでしょうか。例えば、古事記に記される日本最初の和歌は、速須佐之男命が新妻のために清々しい場所を探し当て、新居を立てたことを言祝ぐ内容です。八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を新居の家の様子は分かりませんが、縁起の良い垣に囲まれた庭のある空間だったのでしょう。古代大和王朝の王宮は一代ごとに建設されるのですが、朝廷の名称にあたるその宮号は磯城瑞籬宮・磐余若桜宮・丹比柴籬宮など現在の日本庭園の構成に欠かせないような語彙が並んでいます。日本庭園を「禅の庭」と紹介する人も多いのですが、日本書紀・古事記に記される内容をみると日本人は仏教が伝来するずつと前から、一生懸命に庭づくりをする国であったということに気付きます。何よりも、私たちの先人は高天原の「齋庭(いつきにわ)」の稲穂をこの列島で育て主食として生きてきたのです。日本人が庭園をこよなく愛するのは、それが文化の根底に紐づいているからでしょう。直前の2019年に仁徳天皇陵と言われる5世紀の土木建造物・大仙陵古墳が世界遺産に登録されました。世界最古の木造建造物法隆寺よりも200年も前に築造された世界最大級の巨大墳墓です。6000人が20年間専念して作り上げたものと大林組は積算しています。日本人は建築よりも先に、土木事業に力を注いできたのでした。前方後円墳といわれる日本独特のフォルムをした墓は日本列島に5000基あるといわれています。おそらくここで使われる盛り土や周濠の技術は灌漑やため池開発など農耕社会に欠かせない技術だったのだろうと思います。庭園文化はこのような技術的基盤のもとに独自に発展してきたのです。ところで、いまでも建築物を建てるにあたっては神道の儀礼で地鎮祭を行います。古来からの伝統が建築の文化にはしっかりと根付いているのです。日本では建築と土木は仲が悪いといわれますが、そのようなことを飛び越えて日本人はどのように国土をつくり、景観形成してきたのか、というより深い日本の空間文化として世界の人々に伝えていく必要があるのではないかなぁ、と感じています。
イタリアのミラノ博でユネスコ無形文化遺産「和食」を世界に紹介して大成功をおさめました。日本酒もお寿司も調味料も様々なものが、世界に輸出されました。・大阪・関西万博では「伝統建築工匠の技」を世界に紹介しましょう。台風・洪水・地震と災害列島といわれる日本で、最古・最大級のものが千数百年の時を超えて残されています。これらを作ってきた先人の技術を私たち自身が再評価し、世界に紹介すること、日本建築と土木文化のすばらしさを紹介することが大切です。それを通じて、日本は世界のインフラ整備に貢献することが可能です。日本の伝統を未来に、世界に伝えていくことでSDGsな未来づくりが達成できると確信します。
伝統未来につなげる会のさらなる発展を祈念して。
伝統を未来につなげる会 専務理事
この度、当会の大きな目標でありました伝統建築の技術が「ユネスコ無形文化遺産」に登録され、世界においても、日本の伝統建築技術が認められました。
これは、ひとえにご協力いただきました皆様のおかげです。心より感謝申しあげます。
思えば、2014年8月に、当会の前会長である故・中村昌生先生に、伝統建築技術が風前の灯であることに危機感を感じていることに賛同していただき、まずは、「和食」がユネスコ登録されたことについて、一緒にヒアリングを和食関係者にして、どのようなプロセスを踏めばよいのかということを学びました。
そのために準備団体をつくり、建築技術の登録運動を2015年3月より始めることになりました。
その後、多くの賛同者を得て、この運動は広がり、3万人を超える署名を文科大臣に提出することができました。また、奈良、京都、東京、名古屋などでの主催のフォーラムをはじめ、日本各地での関連イベントを開催し、多くの参加者の方にアピールすることができました。
時には、NHKのニュース番組の特集にも取り上げられ、認知度もあがりました。
しかし、当初から文化庁に提案しておりました日本建築に不可欠な「庭屋一如」の思想である、日本庭園や石垣の技術などは、含まれることなく登録されましたので、今後、追認されることを希望しております。
ユネスコ無形文化遺産登録は、あくまでも通過点の一つであり、このまま、絶滅危惧種のような保護された元でしか生き残れない技術にならないように、次世代へと受け継ぐための連携が必要と考えております。保存や修繕だけでは、技術は伝承されません。未来の文化財を建築するためにも多くの伝統建築技術を用いた建築物を新築することが大切です。
今回、ユネスコ登録されたことは、伝統建築を受け継ぐ全ての職人が頂いた勲章でありますから、誇りに思ってほしいです。そして、狭い一部の建築技術だけでなく、全ての分野において、継承が必要です。山の裾野が広ければ広いほど、頂は高くなります。
これを機会により多くの関心が高まり、技術を継承する職人が増えることを切望いたします。日本伝統建築を未来に繋ぐために。